2008年8月19日火曜日

この頃の変化

ふとした切欠で癖のある療術家と交流が始まっています。ふたを開けると、実は似たもの同士のようで、つまりはわたしも、かなりの偏屈。自分の中の感覚を信じて、良いもの悪いものを判断しつつ、長い間生きましたが、衝突と言うより、理解できない、理解されないと言うものばかりだったと思います。

さて、彼との交流で、私の中での感覚と、それを養う手段の確認と、表現する場が、広がっているように思います。肥田式強健術というのは、結構マニアックなもののようですが、それを研究し成果を出すと言うのは、殆ど例がないと言う事です。かの強健術は、肥田春充翁の残した道であるので、他の者は通る事ができない、と言う意見さえあります。

そう考えると、すべては、その人だけの道でもあるわけで、参考にする事は、残されたものと、それに向かう姿勢でしょう。それを自分の感覚にマッチングさせたときに、私の中に、肥田翁の意図したものが現れると思います。

前の土曜日に、友人のセッションルームを借りて、祝手内のセッションを行いました。そのとき、以前セッションされた方に、『以前と同じ肌理の細かい調整と、それに加えて、自分自身の気(血液)の流れるのを感じた』と感想いただきました。この方自体が、結構敏感な方なので、普通の人とは感想自体が違うのですが、その分、こちらの施術のときの、意識の使い方が、どう反映されているか判り、為になります。

今回は、呼吸と血流、身体の中での流動性について感じる事があり、それを反映させていました。今後それを使って、同じような手応えとか、反応を確認できれば、さらに自己の研鑽も進められると考えています。
今回のセッションに来ていただいた皆様、ありがとうございました。

                                桔龍屋識

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