2008年12月26日金曜日

身体の観立て

身体を、骨格として考えたり、筋肉として考えてたり、色々な方法がありますが、体液として捉えるという方法があります。まだよく理解していませんが、チベット医学ではそのように捉えています。また、日本でも。、仁神術というのは、体液およびガス流動体と言う捉え方をして人の身体の働きを読みます。

気と言う見方もあるのでしょうが、それは、ともすると言葉の違いであって、観ている物は同じかもしれません。

それを、どの言葉を用い、感じているものをどのように加工し、そしてどう表現するか・・・人間の活動と言うものは、やはり本質的に『芸術』であると言えるでしょう。それを支える、その人の持つ『美学』と言う事になるでしょうか。

何を美しいと感じ、何を醜いと感じるかは、人それぞれでありますが、それが世の中に受け入れられるか、拒否されるか、其処に焦点を当ててい自分の生きていることを確認するか・・・あるいは、受け入れられようが、拒否されようが、そのものの命として燃え続けるか・・・私は、後者を採っていると思っています。

そして、自分が、そのものとしてあり続けることに意味を感じています。

其処から、世界を眺めています。

桔龍屋識       

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