体の使い方などと題をつけましたが、今までのことを総合すると、結局は意識の使い方に行き着きます。そこで意識をどのようにコントロールするかと言うことになるわけですが、言い換えれば、自分の心をどのように扱うかと言うことになるでしょう。
ココロを解体して、アプローチするための何がしかを導き出そうとすると、そこには、欲と情の二つが出てくるのではないだろうか?情も、欲も、身体や社会を構成するための一定の、設定された反射・・・と見ることが出来る。より良い方法、手続きがあるなら、更新可能なものと『見立て』る事で、その動きを把握することは可能になると言える。
合気道や柔術系の関節技を、単に痛さの面だけで捉えると、筋肉的、骨格的な危険のシグナルとして受け取ることになる。
一方、今ある場の中での、情報の流れとして受け取ると、場の軸を変更することで、痛みと言う情報が、自分の体と、そこに生まれる反応から来る、感情、またその感情を方向付ける欲のそれぞれに分解されて、再統合しようと、あらたに情報収集し始めることがわかる。
それが行われるときに積極的に関わるなら、また面白い変化を導くことが出来るだろう。
続く
桔龍屋識
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