2008年11月12日水曜日

病の相

ずいぶんと間が空きました。その間に、色々な交流の中で、使っている感覚を整理できたように思います。人と言うのは、その居る環境によって、もっている能力やセンスを変化させたり、あるいは表現を限定した利しているという事を、確認したように思います。

場の意識とでもいうとわかりやすいのかもしれません。他人事のように扱えるし。スタンスを変えることで、それは変わってゆくし、同じ事をずっと言っているのにもかかわらず、意味を違えてとり、ようやくそれが通じるようになると、状況がまったく違うものとなっている。面倒な事や、感情的な事では特にありがちなのではないかと思います。

勝手な解釈というのは、つまりは、物事をすでに知っているパターンに置き換えて認識しないと、理解できないということが、物事の受け取り方の構造だからでしょうか?、状況に対するその場の参加者の認識が、いくつか現れて、それぞれの差と、実際の出来事の差が丁度良いなじみを持つまで、続きます。

一個人の中にも、そのような思い込みと、実際との差異が色々な感情や欲求となって現れているようです。時として病と現れ、時として、揉め事として現れ。どこに、どのように調整するか決めてしまえばそのように体は反応します。それが起きないのは、どの価値観で選択するか、明らかになっていないからです。

そのように捉えながら、身体のほうを調整すると、状況も程よく変化するのではないかと、検証するために、今度モニターを募って、祝手内を行います。

今後、毎月二回くらい、夕方から、夜にかけての時間帯に、行います。大阪は中津、『ヒーリングスペース  ココロ http://www.healing-cocoro.com/about.htm』に於いて開催します。

桔龍屋識

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