場の意識とでもいうとわかりやすいのかもしれません。他人事のように扱えるし。スタンスを変えることで、それは変わってゆくし、同じ事をずっと言っているのにもかかわらず、意味を違えてとり、ようやくそれが通じるようになると、状況がまったく違うものとなっている。面倒な事や、感情的な事では特にありがちなのではないかと思います。
勝手な解釈というのは、つまりは、物事をすでに知っているパターンに置き換えて認識しないと、理解できないということが、物事の受け取り方の構造だからでしょうか?、状況に対するその場の参加者の認識が、いくつか現れて、それぞれの差と、実際の出来事の差が丁度良いなじみを持つまで、続きます。
一個人の中にも、そのような思い込みと、実際との差異が色々な感情や欲求となって現れているようです。時として病と現れ、時として、揉め事として現れ。どこに、どのように調整するか決めてしまえばそのように体は反応します。それが起きないのは、どの価値観で選択するか、明らかになっていないからです。
そのように捉えながら、身体のほうを調整すると、状況も程よく変化するのではないかと、検証するために、今度モニターを募って、祝手内を行います。
今後、毎月二回くらい、夕方から、夜にかけての時間帯に、行います。大阪は中津、『ヒーリングスペース ココロ http://www.healing-cocoro.com/about.htm』に於いて開催します。
桔龍屋識
0 件のコメント:
コメントを投稿