2008年2月1日金曜日

芦分舟‥あしはあしでも足なんですけど13

知識と言うのは、頭で理解していると言うことの云いに他なりませんが、身体で理解させると云うのは、一見時間が掛かるように思えますが、火傷をしたとき、気付いたら熱くなったヤカンから手を離していたと言うことは誰しも経験したことであると思います。

その一秒未満でその感知と動作は終了します。身体が認識するには、一秒に満たないじかんでその是非を感覚します。

身体の記憶と言うものは、そのような反応の集積でありますが、それは、意識的に呼吸を介在させながら関ることが出来ます。
武術、特に古流のものは、ゆっくりとゆっくりと動作するものがありますが、それは呼吸と合わせて、動作を記憶させていると言うことです。

さて、何故身体の鍛え方を注目するかと言うと、自分の身体の認識が変わると、その分、他人の身体が解る様になるからです。意識し、其々の部分や箇所の差異を感覚することで、細部に関する情報を、自分の感覚からなる見立てで使うことが出来るようになります。

これは、他者との共通のものではないので、自分が一番、等と思っていると、失敗します。

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