2008年2月4日月曜日

芦分舟‥あしはあしでも足なんですけど15

いろいろと認められると、やはり嬉しいものです。

最初に、整体を始めたときは、いわゆる中国整体のスイナ術で、国際整体なんやらの教本とおなじものでした。急激な操作をしない、比較的安全な方法のみによる手技療法でした。しかし簡単な分、頑固な凝りや慢性的な症状には回数を重ねると言うアプローチしか無く、非常に物足りない感がありました。

それと、日常生活で出来上がった癖は、それ自体で必要な状態を経過すれば、解消するのではないかと言う目算があり、丁度、風邪が経過すると、身体が整うのだと言う、野口整体に観られる着想と同じです。

と言うのも、痛みに対する療法は、まかり間違うと、痛みだけ取れたら良いと言う、対症療法の、それもかなり御粗末な方法論に達するのでそれは避けて通るべきモノでした。
痛みがあると言う自覚は、一方で、その症状に反応し、治癒させようと言う働きの表現に他なりませんから、痛みを感じないのは、只の麻痺です。

痛みを、痛みとしてではなく治癒の作用の一則面として観ると言う事と、そこから来る情報を、現在の身体の歪みや、不具合に、適切に渡すことで、現在の動きをそのまま活かし、変容させることが出来ないだろうか‥と言うのが、祝手内へと至る、着想です。


桔龍屋記す

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