2008年2月12日火曜日

芦分舟‥あしはあしでも足なんですけど17

その地平で見るとき、外界があって、身体がそこと関ることで、身体そのものに変化がある‥と言う図式では、呪術も外科的処方も、医薬品も、全く同レベルのものであると言うことを、確認しておく必要があります。

そういう見方をすること自体が、なかなか難しく、一見、現代医学を否定しているような印象を持たれることがありますが、むしろ其々の適用範囲を明確にするための、生活手段であります。
其々の療法は、適用範囲と使い方、信頼の置き方を間違えると、命を落しかねません。術者がその範囲外の事をしようとするとき、問題を起こすことになります。

どんな身体でも、外界の刺激に、その出来得る範囲で反応をしています。出来る範囲、と言うのはつまりはリミッターが付いていると言うことなんですが、それが、人それぞれの持つ常識と言われるところの、根拠の無い共通の見立てであります。

法律が一定の規則であり、変えることが出来ない程堅いものであると言うのを信じている人は居ないと思いますが、それでも、内容こそ違えども、法律的な区分けは、必ず機能していると言うこともまた、無視できない事であります。

身体的な故障は、この意味では、区分けの範囲を越えてしまった事による不具合と言うように例えることが出来るかもしれません。区分けの範囲に戻ることが、自然治癒力の現れと言うことが出来るでしょう。そのとき、発熱や痛み、悪寒や排泄の異常など、調整の作用があると言うことになるでしょうか。

一般には、その調整の作用自体を、病気とかと誤認したり、不安によって変質させて病にしてしまうことがあるように思えます。不安を夢で悪夢に成長させ、現実的に不幸を呼び寄せるのとおなじことでしょう。不安を取り除くか、他の区分けにリンクし、後は自然治癒力を促すことで、区分けの更新は行われると考える事が出来ます。

桔龍屋記す

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