2008年2月16日土曜日

芦分舟‥あしはあしでも足なんですけど18

一般には、その調整の作用自体を、病気とかと誤認したり、不安によって変質させて病にしてしまうことがあるように思えます。不安を夢で悪夢に成長させ、現実的に不幸を呼び寄せるのとおなじことでしょう。不安を取り除くか、他の区分けにリンクし、後は自然治癒力を促すことで、区分けの更新は行われると考える事が出来ます。

身体の調子をどの線をもってして、健康と病態に分けるのかと言うことは、その生き方によると私は考えます。一般的には医者、もしくは医療機関等の示す評価に従ってそれを決め、確認し、対処すると言うことになります。

極端な例ではありますが、某療術家のエピソードがあります。長年見ていた女性の定期施術の時、間もなく亡くなると言う事を、側近に漏らし、司法解剖のとき、医者が何と言うか見ものだねぇ‥と言ったいいます。はたして、言った通り、一週間後に亡くなり、司法解剖の時、子宮は老女なのに20代、しかし全身に癌が発症していたそうです。その女性は、医者には決して身体を観せないで、その療術家だけを信頼していたと言いますから、その療術家の世界観の中で生きていたことになります。

だからと言って、全ての人が自分の信じている世界観の中だけで生きて行けるわけではなく、たとえ現代医療を拒否していても、その全て、つまりその診断した病気のあり方から、現象、対処法、治療法、世界観の一切を否定したと言うより、その一部をなんとなく気に入らない、もしくは納得しないと言うことの場合が多いように思います。

病気の概念と対になって健康と言うものがある以上、健康体に付いても再構成する必要があり、とても一人で出来るようなものではないでしょう。また、誰かの考えた健康や病気と言うものに身を任せると言うのも、一人でその概念を構築すると言う事と同じくらい危険で、無謀では無いかと思います。

では、どの様に対処しようかと言うのがそこから出て来ます。

一番簡単なのが、身体の反応力のみを円滑にし、原因と結果には拘らないと言う方法があります。自然治癒力を高めると言うことと方向性は同じであると言えます。先の例では、その某療術家は、結局腹さえ出来ていれば問題無いのだ、と結論したと言いますが、それは、古来より身体の鍛錬法に必ず出て来る丹田が活性であるかどうかと言う問題です。

方向性は同じであると言いましたが、全く同じではないと言うことです。自然治癒力を活性化して治ると言う場合と、同じくらい起こるのが、意識が変化して治ると言う場合があります。と言うか、この場合は、子どもに良く観られますが、熱を出す度に、精神的な対応が変化してゆきます。ですから、この場合は精神的な変化が先か、治癒の結果精神的に変化したのか、どうとも取れますが、自身の経験と実験からでは、精神的な変化は、治癒を導きます。音楽療法などをみるとそれらに付いての考察があるでしょう。

風邪の発熱は、ピークを迎え下降して、一旦平熱より低くなり、調整を完了して平熱に戻ると言う事が野口晴哉氏の観察で言われていますが、大人に意識の変化が観られにくいと言うのは、その低い時に安静にしていなければならないと言う事があり、家庭で無条件に生体反応で生活できる場と言うのは、およそ幼児期にしか求められないからではないかと考えます。平熱に戻ると、動いてしますのでそれがなかなか叶わないようです。

丁度、先日辺りから、寒気がしていまして、一日寝込み、その間に、次の日の計画をたてました。普通に生活しながら発熱を促し、次の日の休日に最低体温に成るであろうと予測して寝ていました。

寒気がしていたので、今まではその寒気には保温と言う対処しかしませんでしたが、今回はその震えを、何か違う情報に書き換え出来ないか、色々試してみました。なにがどう変化したかは、はっきり言葉には出来ませんが、少なからず手応えを感じたので、今後何かに使えるかも知れません。

さて、結果的には、本日土曜日は、一日体温をはかりながら寝ていました。一時、35度6分位に落ちて36度6分位に戻りました。今また、37度ですが(笑)動けるので別に良いです。

桔龍屋記す

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