2008年1月26日土曜日

芦分舟‥あしはあしでも足なんですけど10

呼吸を自分の身体のリズムとして考え、寝ると言うことを、太陽の運行の体内リズムとして関る事が可能でしょう。

野口晴哉氏の言うように身体が好きなものに向かうと、途端に今まで調子の悪かったものが、痛みも不快感も無く、動けるようになることが良く体験されると思いますが、子どもなんかを見ていると、不快感以上に楽しいと、トイレに行くのも忘れているのを良く見かけます。

それは同時に、危機感と言うモノに導かれたときも、火事場のナントヤラで、異常な行動力を発揮します。つまりは、緊張と弛緩、攻撃と養生と言うものは、常に必要なリズムの要素で、それぞれの要素だけを取り出して、これによって治るので、他は病の原因であると言うのは、全くのでたらめであります。

野口晴哉氏の場合は、どうも、腹が出来ていたらどうにでもなる‥と言うのが結論であったようで、それは古来から見られる身体技法にある、丹田の充実と言うことになりますが、その充実を何を持ってするかと言うのが其々の分野の個性、特色と言うことが出来ます。また、その充実の限界線をどの様に設定しているかと言う事で、その世界観が見て取れます。

各々の持つ世界観の中で、何を善さと考えているのか探りながら、身体を操作する訳ですが、そうすると、状況が変化しない、つまり病客にとっては、治らないと言うこと、もしくはすぐ元に戻るような事が起こります。

良く言われるように、その病や不具合を無意識の内に求めている場合がそれで、やさしくされたり、待遇が良かったり、頑張っているような錯覚が嬉しいと言う人は結構居ます。

ただその錯覚をすることで、必要以上に現実を受け入れなくても良い体制が出来ているようなので、それを崩すと精神的に破綻する方向に向かうようです。自ら向かうときは破綻しない様で、回りから追い込まれた形だと、きっと破綻するようです。

どの様に、限界の設定を変更するかと言うのは、どの世界に於いても、創造的な仕事とですが、健康についても同様にそれは、創造的な作業とみなすことが出来ます。

そういう意味では、私がするような整体は、アーティストに一番受けて頂いたら良いのかも知れません。一般的な筋肉疲労や骨格の変位、エネルギー療法的な対応、アプローチもありますが、きっと芸術的な仕事の一助になるのが一番嬉しいことでもあるでしょう。


桔龍屋記す

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