2008年1月29日火曜日

芦分舟‥あしはあしでも足なんですけど12

そういう意味では、想いが形になって行くことは、その内容の貴賎に関らず芸術的であるとも言えます。

人間の根本的なあり方には芸術性は欠かせないと言うことが出来るでしょうか。

人と人の関りと言うものを基本に考えると、そのような態度で臨むのがこちらの意図も、相手の意図も損なうこと無く場を作ることが出来るのではないだろうか。
その状態でどの様な方向性に進むかと言うことを、接触を通して行うと言うことになるでしょうか。

そういうわけで、癒しと言われているものも含めて、代替医療の分野は、明らかに現代医学とは、その基本スタンスを異にしていると言うことを確認しておく必要があると思います。
現代医学の基本経典には、ユナーニ医学というイスラムの古典がありますが、その内容はどちらかと言うと東洋医学的な対症法が載っています。歴史の流れの中のある地点で、モノの捉え方が、今私達がしているような視点へとシフトして行ったわけですが、今の時点から、それを検証するのは、今私達が前提としている世界の解釈の仕方の癖を良く意識する必要があるでしょう。とは言え、その癖の中で思考し行動するので、そのような状況があると意識すること自体が、ある視点と他の視点の差を取ることの基本となると思います。

東洋医学の基本技術は、そこにあるものの差を取って行くことであると、理解しています。
特に手技に於いては、触覚で解るもの、大きさや温度、湿りけや形が、左右上下、内外での差を取って、そのバランスを取ることが基本になります。

そのバランスを見立て体系化したものの一つが、経絡であると言えます。ツボや経絡の場所を知っていても、それをどの様に使うかは、それらのバランスの関係性を、体感的に把握する必要性があります。

知識そのものとしては、使えません。

桔龍屋記す

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