2008年1月22日火曜日

芦分舟‥あしはあしでも足なんですけど7

またほとんど、共通で、へその下に位置する丹田に気を集めて行きます。その集めたり、身体にめぐらすルートには様々なパターンが存在しますが、これもほとんど共通に、いわゆる東洋医学の経絡に相当するものの幾つかに沿ってめぐらせて行きます。


ヨガの場合は三本の縦に走った管状のものを想定するようです。チベット密教も、基本は三本の管ですが、それぞれ、分岐して、結構な数になって居たと思います。東洋医学は十四経絡が有名ですが、その他、奇経八脈でしたか、十四の内、督脈と任脈は奇経なので、正経は十二に成ります。

仙道の小周天は、督脈と任脈を使うものですが、そこに気を呼吸にのせて巡らします。

このような行は、背骨に付随するようなイメージで腹と口鼻を背骨で結んだ線を定規のようにして、呼吸をコントロールするようです。実際のところ、どれほど厳密に実行したところで、体験したことの無い感覚は、無理にそれを表現するための制約されたイメージの中で、取りこぼされることになります。

その場合有効な精神状態として、無心‥と言うものがありますが、極度の集中で達成されると思われている、瞑想の最良の状態と言うことも出来るでしょうか。

何かを意図せずに、行うことに、この療法の要がある‥と言うようなことを、天真療法の創始者、肥田春充氏はおっしゃいましたが、本当は全ての手技療法は、そのようなもので、意図を持つと、かえって十分にその機能は発揮できないようです。



桔龍屋 記す

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