ヨガの場合は三本の縦に走った管状のものを想定するようです。チベット密教も、基本は三本の管ですが、それぞれ、分岐して、結構な数になって居たと思います。東洋医学は十四経絡が有名ですが、その他、奇経八脈でしたか、十四の内、督脈と任脈は奇経なので、正経は十二に成ります。
仙道の小周天は、督脈と任脈を使うものですが、そこに気を呼吸にのせて巡らします。
このような行は、背骨に付随するようなイメージで腹と口鼻を背骨で結んだ線を定規のようにして、呼吸をコントロールするようです。実際のところ、どれほど厳密に実行したところで、体験したことの無い感覚は、無理にそれを表現するための制約されたイメージの中で、取りこぼされることになります。
その場合有効な精神状態として、無心‥と言うものがありますが、極度の集中で達成されると思われている、瞑想の最良の状態と言うことも出来るでしょうか。
何かを意図せずに、行うことに、この療法の要がある‥と言うようなことを、天真療法の創始者、肥田春充氏はおっしゃいましたが、本当は全ての手技療法は、そのようなもので、意図を持つと、かえって十分にその機能は発揮できないようです。
桔龍屋 記す
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